軽車両を除く

ちゃんとしない・しっかりしない・きちんとしない

その学力は,幸せにつながっているのか?

 担当が全員を集めて話した。

「10ポイントも平均から落ちています。」

「漢字と計算が弱いです。」

「習熟の時間を作りたいです。」

 分析と今後の取組が提案された。この時点で頭が痛くなってきた。

 「その10ポイントあげたところで,平均でしょ。漢字書けたり,計算できたりするのはいいと思うよ。その学力って,ウチの子の幸せにつながってるの?」と言いたかったが,退勤時刻まで10分。ぶっぱなしたところで,すったもんだできる時間はない。

「朝の時間を使って,やらせましょう!」

 「何をやらせるの?」「どうやらせるの?」「できない子や,学びから逃げる子には何をしてあげたらいいの?」

 担当からは,デジタルドリルや大量印刷した問題集の使用が提案された。

 ま,印刷でもデジタルでも,なんかやらせるでしょ。「できない」「わからない」をフォローしきれるのかな?担任が,個別指導するような話があったけど,可能なのか?それができなから「-10ポイント」なんじゃないか?

 そもそも,学力を向上させようという問題意識は誰が持っているのか?今のところ,教師が勝手に話し合っている。子どもたちは,ぜーんぜん己の学力を向上させたいとは思っていない。平均より低いなんて,知らないし。

 学力向上の主体は子どもたちなのに,教師たちが学力向上させようとしている。余計なお世話だよな,子どもたちにしたら。

 「さあ,君たちの学力を向上させてあげるよ。このプリントを毎朝やって,自分で採点するんだよ。わからなかったり,できなかったりしたら先生に相談してね」なんて言ったら,「うるせー!」って子どもに叱られそう。

「やれば,のびます。たくさんやらせなければなりません!」

 と言うけれど,成果が出るまでの個人差に耐える自信はあるのだろうか?学力向上対策キャンペーンですぐに結果を出す子もいるだろうけど,なかなか結果にならない子もいるだろう。結果が出ない理由は,様々だ。ワーキングメモリー,発達,認知などなどなどなど,いくらでもある。

「最初は,文句を言う保護者もいますが,最終的には,「自分で勉強するようになりました」って感謝してたよ。」

と自慢する声もあった。「自分で勉強する」ようになれば,いいのか。

 この手の話をすると気分悪くなるのは,結局,何を目指しているのかって言うと「NRTの数字を上げる」ことだから。ま,わかりやすいのだろうけど。その数字を足場にしながら,子どもたちをどこに登らせたいのかの話がない。子どもたちにどこに登りたいのか,登りたいと思っているのかさえ聞いていない。

 子どもたちの学力向上を願うなら,主体である子どもたちとよく対話して計画しないとかなあ。